【簡単解説】日本にピアノが広まった理由とは?|クラシック音楽史

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ピアノはヨーロッパ生まれの楽器ですが、なぜ日本でこれほど広く普及し、子どもから大人まで身近な存在になったのでしょうか?

その背景には、明治時代の西洋文化の導入教育制度の整備国産ピアノの登場戦後の経済成長による家庭への普及など、長い歴史の流れがあります。

この記事では、日本にクラシック音楽やピアノが広まった歴史を、当時の写真や豆知識を交えながらわかりやすく紹介します。

「日本で最初にピアノを弾いた人は?」「鹿鳴館ではどんな人がピアノを楽しんでいたの?」など、ちょっとした雑学も楽しみながら読める内容になっています♪

この記事を書いている人

アガサ
このブログの運営者及び管理人


3歳からピアノを始め、クラシック音楽歴は30年以上。結婚・出産を経て育児の合間にピアノを再開し、念願のグランドピアノも迎えました。
現在はピアノ教室向けのグラフィックデザイナーとして、全国の先生方をサポートしています。
ピアノとクラシックをこよなく愛する主婦が、音楽やピアノにまつわる情報を気ままに発信中です♪

この記事はこんな方にオススメ!
  • ピアノやクラシック音楽の歴史に興味がある方
  • 明治時代から現代までの日本の文化や教育の変遷に関心がある方
  • 「豆知識」を交えながら楽しく学べる雑学記事が好きな方
  • 家庭でピアノを習わせている保護者で、子どもに音楽の歴史を教えたい方
目次

なぜ西洋音楽は明治以前に入ってこなかったのか

江戸時代、日本は鎖国政策をとっていたため、海外との交流は限定的でした。

ポルトガルやオランダなど一部の国との貿易や文化交流はありましたが、西洋の音楽はほとんど伝わらず、一般庶民にとって耳にする機会はありませんでした。

また、江戸時代の日本の音楽は雅楽や浄瑠璃、民謡など伝統的な和楽が中心

西洋の楽器や五線譜、和声の概念などはほとんど知られていませんでした。

そのため、ピアノのような西洋楽器が一般に普及する土壌もなく、明治以前にはクラシック音楽文化はほとんど存在していなかったのです。

豆知識 〜鎖国下でも一部の音楽は入っていた〜

出典:Philipp Franz von Siebold(パブリック・ドメイン)

江戸時代、鎖国政策の下でも長崎の出島を通じてオランダとの貿易や交流は続き、西洋楽器や音楽理論書が少数ですが日本に伝わっていました。

オルガンやヴァイオリン、フルートなどの楽器が持ち込まれ、蘭学者や一部の武士階級がそれらを学んでいました。

しかし、これらは非常に高価で希少なものであったため、庶民や町人が触れる機会はほとんどなく、西洋音楽は限られた知識層の趣味や研究の対象にとどまっていました。

こうして江戸時代には西洋音楽の存在はあったものの社会全体にはほとんど広まらず、明治政府による教育制度への導入が、日本の音楽史における大きな転換点となったのです。

日本にクラシック音楽が伝わった最初期

開国とともに西洋文化が急速に日本に入ってきた明治時代。

政府は近代化政策の一環として教育制度を整備し、西洋音楽を学校教育に導入しました。

これにより、日本の子どもたちは初めて「ドレミ」の音階や五線譜に触れることになります。

西洋音楽は当初、教会音楽や軍楽として導入されましたが、やがて教育現場にも広がります。

小学校では唱歌教育が始まり、『仰げば尊し』や『蛍の光』などの歌が生徒に教えられるようになりました。

これらの楽曲は、ドイツやアメリカから輸入された教材を基にしており、日本語の歌詞とともに西洋音楽の旋律を学ぶ最初の機会となりました。

豆知識 〜日本最初の音楽学校〜

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出典:『東京音楽学校創立五十年記念』東京音楽学校、1929年(パブリック・ドメイン)

1887年に設立された「東京音楽学校」(現・東京藝術大学音楽学部)は、日本におけるクラシック音楽教育の中心的存在でした。

東京音楽学校の卒業生たちは、その後各地の小学校や中学校で音楽教師として活躍し、日本各地に西洋音楽を普及させていきます。

また、東京音楽学校の卒業生によって編纂された楽譜集や唱歌集は、明治期の学校教育に欠かせない教材となりました。

このように、東京音楽学校の設立は単なる学校の開校にとどまらず、日本のクラシック音楽教育の基盤を築く非常に重要な出来事でした。

日本にクラシック音楽が伝わった頃のヨーロッパ

日本にクラシック音楽が広まり始めた明治時代(1868〜1912年)、ヨーロッパではピアノ音楽が成熟期を迎えていました。

当時、現役で活躍していた作曲家には、ブラームス(1833〜1897)やリスト(1811〜1886)がいます。

ショパン(1810〜1849)は、明治初期にはすでに亡くなっていましたがその作品は人気でした。

ブラームス

構造が緻密で深みのあるピアノ曲を多数作曲。ヨーロッパ各地で演奏され、日本にもその楽譜が輸入されました。

リスト

ピアノの技巧を極めた演奏家・作曲家として名を馳せ、華やかな演奏スタイルは当時のヨーロッパ社交界でも注目されました。

ショパン

生前はポーランドとフランスを中心に活躍。エレガントで叙情的な作品は、明治の日本でも「外国の高尚な音楽」として紹介されました。

こうした作曲家たちの楽譜や演奏スタイルが、当時日本に入ってきたクラシック音楽の教材となり、東京音楽学校などでの西洋音楽教育の基礎となりました。

ピアノが日本にやってきた!

明治時代、日本に最初に入ってきたピアノはすべて外国からの輸入品でした。

当時のピアノは非常に高価で、庶民にとっては手の届かない“夢の楽器”。

一部の富裕層や政府関係者、学校などにしか置かれず、演奏できる人もごく限られていました。

明治20年代になると、ヤマハの創業者・山葉寅楠がオルガンの製造に成功し、国産楽器の歴史が始まります。

その後、ピアノの国産化も進み、大正時代には徐々に一般家庭にもピアノが普及しはじめました。

ピアノ教室や音楽学校も増え、音楽教育の環境が整っていくことで、より多くの子どもたちがピアノに触れられるようになりました。

豆知識 〜日本で最初のピアニストは?〜

『幕末・明治・大正回顧八十年史』第20輯(東洋文化協会編、昭和12年(1937))(パブリック・ドメイン)

日本初のピアニストとして知られるのが久野 久(くの ひさ)です。

明治時代に上述した東京音楽学校で学び、その後ヨーロッパに留学。

ウィーンでの演奏も行い、日本における西洋音楽の普及に大きく貢献しました。

幼少期の障がいにも負けず、ベートーヴェン作品などを演奏し、日本のピアノ界に新たな道を開いた人物です。

ハイカラ文化とピアノ

明治時代の鹿鳴館(ろくめいかん)では、西洋式の舞踏会やパーティーが盛んに開かれました。

そこで欠かせなかったのがピアノ演奏です。

当時のピアノは“ハイカラ文化”の象徴であり、舞踏会や社交の場で演奏される姿は、人々にとって憧れの存在でした。

豆知識 〜鹿鳴館に集った人々〜

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出典:国立国会図書館「写真の中の明治・大正」

鹿鳴館には、外国の外交官や日本の政府高官、実業家、華族などが訪れました。

男性は燕尾服やモーニング、女性はドレスや豪華な帽子に身を包み、西洋式のマナーで社交を楽しみました。

また、音楽や舞踏に精通した来客も多く、ピアノ演奏はその教養や洗練された生活ぶりを示す象徴でした。

こうした華やかな社交の場は、明治のハイカラ文化を象徴する一面として、日本人にとって大きな憧れとなっていたのです。

戦後のピアノブーム

戦後の高度経済成長期に入ると、ピアノは急速に家庭に広まりました。

戦前までは高価で手の届きにくかったピアノも、アップライトピアノや電子ピアノの登場によって価格が下がり、設置や移動もしやすくなったことで、一般家庭にも導入されるようになります。

「一家に一台ピアノ」という言葉が生まれるほど、ピアノは子どもから大人まで身近な存在となりました。

この時代には、全国にピアノ教室が開設され、教育や趣味の一環として子どもが習う文化が定着。

ピアノは単なる音楽教育の手段にとどまらず、家庭の教養や文化的ステータスを示す象徴でもありました。

また、テレビやラジオを通じてピアノ演奏の機会が増え、家庭での練習や発表会を通じて、音楽を生活に取り入れる文化が広がっていきました。

豆知識 〜ピアノ教室の普及

戦後のピアノ教室は、単に音楽を教える場所ではなく、家庭や地域の文化的活動の中心としての役割も担っていました。

ピアノを習うことは、子どもの情操教育だけでなく、家庭の教育力や教養の高さを示す一つの指標とされ、特に都市部の家庭で注目されました。

発表会やコンクールの開催により、地域社会全体で音楽文化を楽しむ風潮が生まれ、ピアノが日本の文化生活に深く根付くきっかけとなったのです。

まとめ

ピアノが日本に広まった背景には、

  • 明治政府による西洋音楽教育の導入
  • 東京音楽学校の設立
  • 国産ピアノの登場
  • 鹿鳴館を象徴とするハイカラ文化
  • 戦後の経済成長とピアノブーム

こうした歴史的な流れがありました。

今や日本は、ヤマハやカワイといった世界的ピアノメーカーを持つ“ピアノ大国”。

子どもから大人まで、身近に音楽を楽しめるのは、こうした歴史があってこそなのですね。

最後までご覧いただきありがとうございました^^

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