【伝統と革新の架け橋!】ブラームスの生涯と聞くべき名曲!

当ブログの記事には広告やアフィリエイトリンクを含む場合があります。

趣味でピアノを楽しむ皆さんへ送る「作曲家や楽曲についてより深く知ろうシリーズ」です♪

シリーズ一覧はこちら♪

趣味でクラシックピアノを弾いていく上で、作曲家や楽曲について今一度確認して、演奏の表現力向上や楽譜を読み解く力を付けよう!という当ブログのシリーズです♪

今回は、J.S.バッハ、ベートーヴェンと共にドイツ音楽における三大Bとも称されている「ヨハネス・ブラームス」について取り上げます!

この記事を書いている人

アガサ
このブログの運営者及び管理人


3歳からピアノを始め、クラシック音楽歴は30年以上。結婚・出産を経て育児の合間にピアノを再開し、念願のグランドピアノも迎えました。
現在はピアノ教室向けのグラフィックデザイナーとして、全国の先生方をサポートしています。
ピアノとクラシックをこよなく愛する主婦が、音楽やピアノにまつわる情報を気ままに発信中です♪

この記事はこんな方にオススメ!
  • 趣味でクラシックピアノを楽しんでいるが、作曲家の背景や人生についてもっと知りたい方
  • ブラームスの作品を演奏する際に、曲の深い意味や作曲者の想いを理解したい方
目次

ブラームスの簡単年表

では、ブラームスの生涯を年表にしましたので見てみましょう♪

以下の年表は、大まかな事柄のみを10個のポイントに絞り記載しています。

POINT
1833年
ドイツ・ハンブルクに生まれる

貧しい家庭に育つ。父はコントラバス奏者、母は裁縫師。幼少期から音楽の才能を示し、7歳でピアノを始める。10代にはすでに地元の酒場で演奏して家計を支えた。

POINT
1847年(14歳)
地元の酒場や劇場で演奏し家計を助ける

地元の酒場や劇場で演奏し家計を助ける。
家庭の事情で生計を助けるため、若くして酒場やダンスホールなどでピアノを演奏。

POINT
1853年(20歳)
シューマン夫妻と出会い人生が大きく変わる

作曲家としての才能に目をつけたシューマンが、音楽雑誌に「新しい道」と題して絶賛記事を掲載。一躍注目の若手作曲家となる。

POINT
1856年(23歳)
師・シューマンの死とクララとの絆

尊敬していたシューマンの死後、その妻クララとの親密な関係が深まる。生涯独身を貫いたブラームスにとって、クララは特別な存在となる。

POINT
1868年(35歳)
『ドイツ・レクイエム』完成で名声を確立

母の死をきっかけに作曲を始めた大作『ドイツ・レクイエム』が成功を収め、名実ともにドイツを代表する作曲家としての地位を築く。

POINT
1876年(43歳)
待望の『交響曲第1番』を発表

「ベートーヴェンのあとで交響曲を書くのは大変」と長年発表をためらっていた交響曲をついに完成。ベートーヴェンの“後継者”と称される。

POINT
1880年代(40代後半)
円熟期に入り数々の名作を発表

交響曲第2番~第4番、ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲第2番など、代表作が次々に生まれる。クララとも手紙のやり取りが続いていた。

POINT
1896年(63歳)
クララ・シューマンが死去

長年の親交を続けていたクララの死に深い悲しみを受ける。作曲活動も次第に終息へ向かう。

POINT
1897年(64歳)
『4つの厳粛な歌』を最後に作曲から退く

死を意識しながら書いたとされるこの歌曲集を最後に、作曲家としての筆を置く。

POINT
1897年(64歳)以降
スイスの保養地などで静かな晩年を過ごす

交を避け、読書や自然に囲まれての穏やかな生活。かつての社交的な一面とは対照的な晩年を送る。
療養生活を続けていたが、次第に体調が悪化。
クララの後を追うように、静かにウィーンで生涯を閉じた。
ベートーヴェンやシューベルトと同じウィーン中央墓地に埋葬。

いかがでしょうか。

ブラームスは「ベートーヴェンの後継者」と称されるほどの偉大な作曲家ですが、その人生は決して平坦なものではありませんでした。

幼い頃から家計を支えるために酒場で演奏を始め、才能を認めてくれたシューマンとの出会いをきっかけに音楽家としての道を歩み出しました。

しかし、その師を若くして失い、クララ・シューマンへの秘めた想いを胸に抱えながら、ひたむきに音楽に向き合う人生を送りました。

当時、音楽界では革新性が重視されていましたが、ブラームスはあえて古典的な形式を重んじ、孤高の立場を貫きました。

その姿勢が作品にも反映され、理性と情熱、重厚さと繊細さが共存する深い音楽を生み出しています。

ブラームスの作品を演奏する際には、どのような人生を歩み、どのような思いでその曲が書かれたのかを知っていることが、表現の深さにつながると思いますので、少しでも心に留めておいていただければ幸いです。

夫(ピアノ未経験)

名前はよく聞くけど、ブラームスってこんな人生を送ってたんだね。

アガサ

そうなの!作品の陰に、実はものすごく人間味あふれるエピソードが隠れてるんだよ。

夫(ピアノ未経験)

年表だけじゃちょっと堅い感じもするし、どんな人だったのかもっと知りたいな〜。

アガサ

じゃあ次は「ブラームスの人物像」に迫ってみよう!

ちょっと休憩♪

ブラームスの人生について描かれているおすすめの本です♪

より深くブラームスの人生を知りたい!という場合はぜひご覧ください^^

全音から出ている、人気の作曲家シリーズで読みやすいです!

ブラームス作品を演奏する際に、見ておきたい本です!

ブラームスの人物像

さて、ブラームスは、上述の年表の通り1897年に63歳でその生涯を終えました。

同時代にはワーグナーやリストといった革新的な作曲家たちが活躍していましたが、ブラームスはあくまで古典的な形式美を重んじた作風を貫き、しばしば「古典派の精神を継ぐロマン派作曲家」とも称されます。

数々の名作を残したブラームスですが、皆さんはどのような印象をお持ちでしょうか?

以下で、見ていきましょう♪

性格

ブラームスは、非常に誠実でどちらかというと内向的な性格だったと伝えられています。

家庭は貧しく、父親はコントラバス奏者、母親は仕立て屋という労働階級の出身でした。

幼い頃から家計を助けるために酒場や劇場でピアノを弾いていた経験が、彼の音楽に対する真摯な姿勢や現実的な感覚を育んだとも言えるでしょう。

慎重で理知的な性格から、他人に簡単に心を許すタイプではなく、特に自らの音楽に対する批評には非常に敏感だったようです。

完成した作品もなかなか発表せず、納得のいくまで徹底的に練り上げた末にようやく世に出すことが多く、その姿勢からは妥協を許さない職人気質な一面が見てとれます。

また、ブラームスの音楽は一見重厚で厳格に感じられることもありますが、実際の彼はユーモアのセンスも持ち合わせた人物でした。親しい仲間には茶目っ気のある冗談を飛ばすこともあったと言われています。

さらに、ブラームスは非常に義理堅く、思いやりのある人柄でもありました。

シューマン夫妻とは生涯を通して深い友情を保ち、クララ・シューマンに対しては特別な想いを抱いていたとも言われています。

経済的に困窮する音楽仲間への援助も惜しまず、匿名での支援を行っていた例も残されています。

作品の中に見られる陰影の深い情感や構築美は、こうしたブラームスの誠実さと繊細さ、そして孤独や内なる情熱が反映されたものなのかもしれません。

交友関係

様々な音楽家と交流を持っていたブラームスですが、特に彼の人生と音楽に大きな影響を与えた人物として挙げられるのが、ローベルト・シューマンとその妻クララ・シューマンです。

ブラームスがまだ無名の若者だった頃、シューマン夫妻は彼の才能を見出し、積極的に支援しました。

シューマンは「新音楽時報」において、ブラームスを「未来の偉大な作曲家」と絶賛し、クララとはその後生涯にわたって深い友情を育んでいきます。

特にクララに対しては、単なる音楽的な敬愛を超えた特別な感情を抱いていたとも言われており、彼女の死後には創作活動に大きな喪失を抱えたという記録も残されています。

また、ブラームスはリストやワーグナーといった同時代の大作曲家とは距離を置いていました。

特にワーグナー派との対立は有名で、「新ドイツ楽派」との論争は19世紀の音楽界を二分するほどのものでした。

こうした立場の違いもあり、彼はベートーヴェンの伝統を継承する「純音楽」の擁護者として、独自の道を歩みました。

その一方で、ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムとは深い友情を築いており、彼のために書かれた「ヴァイオリン協奏曲」や「ヴァイオリン・ソナタ」など、数多くの名作が誕生しています。

ヨアヒムとの交流は、ブラームスの創作活動において非常に大きな意味を持っていたと言えるでしょう。

この他にもクララの子どもたちや若い作曲家たちに対しても助言や支援を惜しまず、温かい人柄がうかがえるエピソードも多く残されています。

夫(ピアノ未経験)

ブラームスって、もっと堅そうな人かと思ってたけど、意外と情に厚いタイプだったんだね。

アガサ

うん、感情深くて、人とのつながりも大事にしてたんだよ。

夫(ピアノ未経験)

ちょっとブラームス見る目変わってきたわ!

アガサ

じゃあ、次はブラームスの名曲を紹介するよ♪

ブラームスの名曲

次に、必ず1度は聞いておくべきブラームスの名曲をご紹介します!

ブラームスはピアノ曲以外にもたくさん名曲がありますので今回は分かりやすく以下4つに分けてみました。

ピアノ曲・パガニーニの主題による変奏曲 イ短調 Op.35
・6つの小品 Op.118
・ハンガリー舞曲
・ハイドンの主題による変奏曲
室内楽曲・ピアノ四重奏曲 第3番 ハ短調 Op.60
・チェロ・ソナタ 第1番 ホ短調 Op.38
・ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 Op.78
交響曲・交響曲 第1番 ハ短調 作品68
・交響曲 第4番 ホ短調 作品98
声楽曲・ドイツ・レクイエム 作品45
・子守歌 作品49-4

この他にも、室内楽曲や管弦楽曲なども有名作品はありますが、今回は上記の4つの種類の名曲をご紹介しますね。

ピアノ曲

ここでは、ブラームスが残した数々のピアノ作品の中から、特に代表的で聴きごたえのある名曲をご紹介します♪

今回ご紹介するのは、4曲です。(頑張って厳選しました。)

パガニーニの主題による変奏曲 イ短調 Op.35

Leonardo Pierdomenico

1862年、ブラームスが29歳頃に書かれた有名曲。

シューマンやリストの影響を受けて書かれた、非常に技巧的なピアノ曲です。

パガニーニの有名な主題に基づき、全2巻・計28の変奏から成り、それぞれが異なる演奏技術を要求される高難度の曲です。

YouTubeは、第1巻です♪

華やかでありながら、練習曲としての側面も持つブラームスの代表作とも言える作品です。

アガサ

主題がどんどん変わっていくのが楽しく、圧倒されます♪

6つの小品 Op.118

松本和将 Kazumasa Matsumoto

1893年、ブラームス60歳という最晩年の頃に作曲された名曲

若かった頃の自分を懐かしむような、とても穏やかだけれどどこか哀愁に満ちた旋律が心に深く残る素晴らしい作品です。

6曲から成る小品集で、YouTubeは特に単独で演奏される機会が多い“第2番「間奏曲」イ長調”です。

アガサ

アガサは、この第2番が本当に大好きで、演奏しながら涙がいつも出そうになる程。ブラームスは、この頃親しい友人を亡くし非常に落胆していたそう。これまでの歩み、そして友人の死、いろいろな思いが交差する中で、ブラームスはどのような思いでこの曲を作曲したのか。深く考えることで演奏が一味も二味も変わるはずです。

ハンガリー舞曲

MARIEKANA 〜piano duo Lumiere〜

1858年、ブラームスが25歳頃に作った超有名曲。

オーケストラでも多く演奏されますが、元々はブラームスが4手ピアノ(連弾)用に作曲し、爆発的な人気を得た傑作です。

『ハンガリー舞曲集』として21曲が収められた中に、上記YouTubeの第5番が含まれています。

これはピアノ経験者でなくてもみなさん知っているであろう超有名曲です。

アガサ

娘のピアノ発表会で、親子連弾でこの曲を演奏しました♪みんな知っていて楽しめる曲ですし、ホールで弾くと迫力もありオススメです^^

ハイドンの主題による変奏曲

nakai&takeda

ブラームスが、1873年40歳頃に作曲した変奏曲です。

2台ピアノ版が完成した後に、管弦楽版も完成しています。

タイトルにある通り、この変奏曲の主題は、当時ハイドンが作曲したとされていた、「ディヴェルティメント Hob.II.46」の第6曲 第2楽章から取られています。

アガサ

2台ピアノは迫力も凄く、演奏がうまく噛み合っていく様が非常に楽しいですよ♪

室内楽曲

続いてはブラームスの名曲揃いの室内楽曲です♪

室内楽曲とは、少人数の楽器編成で演奏される音楽のことで、主に家庭や小さな会場での演奏を想定して作られた作品です。

ブラームスはピアノや弦楽器を中心とした室内楽にも多くの名作を残しており、その緻密で深みのあるアンサンブルは今も多くの演奏家に愛されています。

こちらも、個人的に大好きな曲が多く迷いに迷ったのですが今回は厳選して3曲をご紹介します。

ピアノ四重奏曲 第3番 ハ短調 Op.60

Hochrhein Musikfestival Productions

1855年、ブラームスが22歳頃に作曲されたピアノ四重奏曲です。

と言っても・・・、実は最初に作曲された時は、調性も違い3楽章構成でした。

それが改訂され、20年越しの1875年にようやく完成したという、苦しみの末に生まれた作品と言っても過言ではない作品なのです。

古典的な構成美、ロマンティックな旋律がうまく融合した、室内楽曲の傑作だと思います。

この曲には、シューマンの悲劇的な死や、クララ・シューマンにへの複雑な愛が、この曲に投影されていとも言われているんです。

アガサ

アガサが個人的に大好きな作品で、以前に以下の記事でも取り上げています♪ぜひ「室内楽もいいじゃん!」と、思ってくださった方は以下の記事もご覧くださいね^^

チェロ・ソナタ 第1番 ホ短調 Op.38

Yuki Ito / 伊藤悠貴

1865年、ブラームスが32歳の頃に作曲されたチェロソナタです。

若い時期の作品ながら、全体に深い陰りや重さが漂っている曲。

同時期に母を亡くし、「ドイツ・レクイエム」にも取り組んでいたことを思えば、この音楽に感じられる深さや救いを求めるような儚い旋律にも納得がいきます。

アガサ

チェロソナタは第2番も有名です。ぜひ聴き比べてみてくださいね♪

ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 Op.78

高松あい_violin

1878年、ブラームスが45歳の頃に作曲したヴァイオリンソナタで『雨の歌』とも呼ばれます。

第3楽章の冒頭に、ブラームス自身が作った歌曲「雨の歌」Op.59-3の主題を用いているためです。

クララは、このソナタを「あの世に持っていきたい曲です」と述べるほど愛着を見せていたそうです♪

アガサ

クララの息子フェリックスが25歳という若さで亡くなり、第2楽章に葬送行進曲が入っているのも聴きどころです。

交響曲

続いては、ブラームスの交響曲をご紹介します。

ブラームスは、交響曲を生涯で4曲作っています。今回はその中から2曲ご紹介します^^

交響曲 第1番 ハ短調 作品68

hr-Sinfonieorchester – Frankfurt Radio Symphony

この曲は、着想から完成まで試行錯誤を繰り返しながら21年もの時を費やしたブラームスの傑作とも言える交響曲です。

ブラームスが尊敬する、ベートーヴェンの交響曲ジャンルにおける偉業を意識していたことで、創作が難航したんですね。

そのこともあってか、当時から「ベートーヴェンからの交響曲の系譜を正統的に受け継いだ名作」と言われています。

アガサ

ブラームスは、ベートーヴェンの作品を深く研究し、彼の音楽的伝統を継承しようとしました。その思いの強さや、周りからの交響曲の熱望の声などもありなかなか思うように納得のいく出来にならなかったようです。

交響曲 第4番 ホ短調 作品98

hr-Sinfonieorchester – Frankfurt Radio Symphony

1884年〜1885年にかけて、ブラームスが作曲した最後の交響曲です。

ブラームス自身は、「自作で一番好きな曲」「最高傑作」と述べている、円熟した作品です。

アガサ

アガサは、個人的に第1番も好きですが、こちらの第4番が大好きです♪ブラームスらしさがふんだんに散りばめられた名曲ですので、ぜひ一度聞いてみてほしいです^^

声楽曲

ブラームスは、声楽曲もたくさん作曲しています。

今回は、2曲をご紹介します。

ドイツ・レクイエム 作品45

1857年頃から書かれ始めたドイツレクイエム。

1856年に、恩人のシューマンが死去したことがきっかけでこの曲を作り始めたと言われています。

その後なかなか制作が進まなかった中、1865年にブラームスのお母さんが亡くなり、これが曲の製作を急がせたそうです。

アガサ

「キリストの復活に関わる部分は注意深く除いた」とブラームス自身が述べており、死者への祈りというよりも、生きる者へのメッセージとして書かれた曲です。

子守歌 作品49-4

オーケストラ・アンサンブル金沢 Orchestra Ensemble Kanazawa

1868年に、ブラームスの友人に次男が生まれたことを記念して、作曲された有名な子守唄です。

多く編曲などもされていて、現代では赤ちゃんのおもちゃのメロディーの一つして入っていたり日本でも馴染みのある名曲ですね。

アガサ

アガサも子供達が小さい時、ブラームスの子守唄には大変お世話になりました・・・。オルゴールバージョンをよく聞かせていました^^

まとめ

今回は「作曲家や楽曲についてより深く知ろうシリーズ」第2弾として、ブラームスを取り上げましたが、いかがでしたでしょうか?

重厚で情熱的な音楽のイメージが強いブラームスですが、若い頃から多くの葛藤や別れ、そして自らの理想と向き合いながら音楽を紡いでいたことが、今回を通じて少しでも伝わっていれば嬉しいです^^

実際に彼の作品を聴くと、複雑な心の機微や繊細な情感が溶け込んでいるのを感じられるはずです。

ぜひこれを機に、ブラームスの音楽にじっくり向き合ってみてください♪

次回はどんな作曲家が登場するでしょうか?
どうぞお楽しみに!

最後までご覧いただき、ありがとうございました^^

目次