モーツァルトやベートーヴェン、ショパン、リスト――歴史に名を残す作曲家たちは、どのようにピアノと関わりながら創作をしていたのでしょうか?
実は彼らの時代、今のようにどこにでもピアノがあるわけではなく、移動や生活環境によっては“ピアノがない”状況も少なくありませんでした。
それでも彼らは、旅先や借家、さらには難聴や病気など、さまざまな制約のなかで創作を続けました。
今回は、そんな「有名作曲家たちのピアノ事情」をご紹介していきます。
ちなみに、ピアノという楽器自体がどのように進化してきたのか気になる方は以下の記事をチェックしてくださいね♪

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アガサ
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3歳からピアノを始め、クラシック音楽歴は30年以上。結婚・出産を経て育児の合間にピアノを再開し、念願のグランドピアノも迎えました。
現在はピアノ教室向けのグラフィックデザイナーとして、全国の先生方をサポートしています。
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- ピアノ学習者や演奏者で、作曲家がどんな環境で創作していたのか気になる方
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モーツァルト:旅する音楽家の苦労

モーツァルトは幼少期から各地を巡る演奏旅行をしており、馬車での長旅が日常でした。
しかし、訪れた先に必ずしもピアノがあるとは限らず、演奏や作曲には不自由がつきものでした。
そのため、旅行用クラヴィーアを持ち歩いていたという記録もあります。
音を出せない環境でも、彼は頭の中で音を鳴らし、作曲を進めていたとも言われているんです。
とはいえ、実家にいるときは常にピアノに囲まれた環境で育ち、彼の創作力を支える大切な存在だったことに変わりはありません。
ベートーヴェン:ピアノとの“戦い”の日々

ベートーヴェンにとってピアノは、単なる楽器ではなく、自身の情熱をぶつける相手でもありました。
当時のピアノは現在ほど頑丈ではなく、彼の激しい演奏で壊れてしまった例もあるほどです。
また、彼の求める音や表現に応えられる楽器が存在しなかったため、ピアノ製作家とともに改良を重ね、より理想に近いピアノを追い求めました。
難聴が進行して以降も、ベートーヴェンにとってピアノは創作の命綱。
鍵盤を叩き、振動を“感じる”ことで、音の世界をつなぎとめていたのです。
ベートーヴェンについては以下の記事もぜひご覧ください♪

ショパン:移動用ピアノとともに旅する人生

病弱で繊細な体質だったショパンは、気候を求めて各地を転々とする生活を送りました。
そんな旅の中でも、彼は自分の音に強いこだわりを持ち続けていたようです。
お気に入りだったプレイエル製の小型ピアノを旅先に持ち運んでいたという記録があり、スペインのマヨルカ島に滞在した際も、修道院にそのピアノを持ち込んだという逸話が残っています。
“どこにいても、自分の音で弾きたい”というショパンの美学が感じられるエピソードです。
リスト:ピアノとともに世界を駆け巡る

超絶技巧の名手として知られるリストは、演奏旅行の名人でもあり、ヨーロッパ中を飛び回りながら各地で演奏を行いました。
旅先のピアノに不満を漏らすこともありましたが、その卓越した腕前でどんな楽器でも聴衆を魅了したといいます。
愛用していたピアノは、豊かな音色と耐久性で知られるベーゼンドルファーや、華やかで繊細な響きが特徴のエラールなどがありました。
複数のピアノを所有し、旅用と自宅用で使い分けるなど、移動生活に合わせた工夫も。
晩年には音の出ない「サイレント・ピアノ」のような楽器で指の練習をしていたという話もあり、ピアノへの深い愛着がうかがえます。
リストについては以下の記事もぜひご覧ください♪

シューベルト:借り物ピアノで生まれた名作たち

シューベルトは経済的に恵まれず、自分のピアノを持っていませんでした。
そのため、友人や支援者の家にあるピアノを借りて作曲や演奏をしていたそうです。
ピアノの状態や種類は一定ではなく、いつも同じ環境で演奏できたわけではありませんでしたが、その制約を乗り越えて多くの名作を生み出しました。
代表作には「即興曲」や「ピアノ・ソナタ」などがあり、借り物のピアノから豊かな音楽世界を築き上げたことがうかがえます。
ドビュッシー:理想の音色を求めてピアノを選ぶ

ドビュッシーは音色に非常にこだわり、ベヒシュタインのピアノを好んで使いました。
透明感や豊かな響きを持ち、彼の繊細な音楽表現にぴったり合っており、「ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ」との名言も残しているほど。
演奏者にも細かく楽器の選び方や調律方法を指示し、作品の幻想的な響きを実現。
『月の光』や『亜麻色の髪の乙女』などの名曲は、こうしたこだわりが反映された音色が特徴です。
ラヴェル:ピアノのメカニズムに魅せられて

ラヴェルは精巧な機械や構造に強い興味を持ち、その好奇心はピアノの内部メカニズムにも向けられました。
彼が使用していたのは当時の最高峰ともいえるフランス製ピアノで、特にエラール社の楽器を好んだと言われています。
ラヴェルはピアノの音域や鍵盤の反応、打鍵感の細かな違いに非常に敏感で、それが作曲にも大きく影響しました。
また、当時のピアノは今よりもメカニズムの完成度が高くなかったため、彼は自分の理想に近い音を出すために楽器の調整にも熱心に関わっていました。
ラヴェルのピアノ選びと細やかな楽器へのこだわりは、彼の音楽世界の豊かさを支える大切な土台となっていました。
ハイドン:チェンバロからピアノへの時代の移行を体現

ハイドンが活躍した18世紀後半は、まだフォルテピアノ(初期のピアノ)が登場したばかりの時代。
彼は主にチェンバロで作曲をしていましたが、新しい楽器の可能性に興味を持ち、徐々にピアノ作品へと移行していきます。
「ピアノ・ソナタ」も晩年になるほど、表現力や音域の広がりが感じられ、楽器の進化とともに音楽も進化していったことがわかります。
ブラームス:借家暮らしの制約と創作

ブラームスは若い頃から移動の多い生活を送り、長く定住せずに借家暮らしをしていました。
作曲には集中できる静かな環境を必要としましたが、アパートのような環境では音を出して思いきり弾くことができないことも。
そのため、静音性に優れたピアノを選んだり、頭の中だけで練る作曲時間も多かったとされています。
限られた環境のなかでも、彼の重厚な音楽が生まれたのです。
ブラームスについては以下の記事もぜひご覧ください♪

プロコフィエフ:革命と亡命、変転する創作環境

20世紀初頭、ロシア革命の混乱期に生きたプロコフィエフは、安定した作曲環境に恵まれていませんでした。
亡命を余儀なくされ、ヨーロッパやアメリカを転々とする生活。
質のよいピアノが手に入らないこともあり、作曲に支障をきたすこともありました。
それでも彼はスケッチや小型鍵盤などを使い、精力的に創作を続けました。
『ピアノ・ソナタ第7番』など、激動の時代を生き抜いたからこその緊張感あふれる作品が残されています。
まとめ

この記事では、モーツァルトやベートーヴェン、ショパン、リストといった偉大な作曲家たちが、それぞれの時代や環境に合わせてピアノとどう向き合い、工夫しながら創作と演奏を続けてきたかを紹介しました。
彼らのピアノへのこだわりや苦労は、音楽史における新たな発見や理解につながるでしょう。
ピアノの歴史や進化とともに、作曲家たちの創造力もまた、多彩に広がっていったのです。
これらを知ることで、皆さんのピアノライフがより一層楽しく豊かなものになれば嬉しいです。
最後までご覧いただきありがとうございました!